「地域発信」欄がなくなったため、「窓」欄への投稿が掲載された分です。文中の講座や講演会の案内は終了していますので、ご了承ください。最新ニュースは「おしらせ」をご覧ください。なお、このHPへの掲載にあたりましては、宮崎日日新聞「窓」欄担当者様からのご了承をいただいております。
第1回(2001年4月19日)
解読望まれる貴重な古文書
公務員 緒方俊輔 37
昭和五十年に県教育委員会が発行した「古文書所在確認調査報告書」によると、県北に県内全体の二分の一、西臼杵郡に県内全体の三分の一の古文書が残っているらしい。
高千穂町内には、民家の倉庫やふすまの下張りなどから、古文書資料が発見されることが少なくない。それらの資料の中には新発見の事柄が記録されていることも多く、解読作業が望まれるところである。
しかしながら、古文書の解読にはある程度の慣れが必要であり、町内においても、古文書が読める人は数少なくなっている。
高千穂町教育委員会では、平成十三年度古文書講座を全二十回にわたって行う予定である。受講は無料で、町外からの受講も可である。受講ごきぼうの方は、コミュニティセンター電話0982(72)6139まで連絡ください。
(高千穂町)
第2回(2001年5月1日)
世界平和問うガラスの印鑑
公務員 緒方俊輔 37
高千穂町五ヶ所の武田計助氏から寄贈頂いた品物の中に、B29のフロントガラスで作った印鑑がある。
戦後間もない昭和二十年八月三十日にテニアン飛行場を飛び立ち、福岡県鞍手郡宮田町の貝島炭坑の連合国軍捕虜収容所へ救援物資を投下する任務の途中、障子岳に接触し親父山の北西斜面に墜落炎上、十二人の搭乗員は全員死亡した。
戦後五十年目の平成七年に、地元有志の呼び掛けによる平和祈念碑建設実行委員会によって、昭和二十年八月七日に河内の小河内の鹿児島山に墜落した隼戦闘機の徳義仁軍曹と併せて慰霊し、恒久の国際平和を祈念して五ヶ所の三秀台に平和祈念碑が建設された。
県北の自然を語る会会長で県職員の工藤寛氏らによってB29の部品の収集も行われた。また、事故直後に部品を拾い、リサイクルした品物も資料館へ寄贈されている。世界平和のみならず地球環境問題をも、われわれに問題提起してくれる資料である。
(高千穂町)
第3回(2001年5月21日)
歴史突き合わせて見えてきた事実
公務員 緒方俊輔 37
熊本県益城町の松野氏から「西南の役の最中、官軍の陣又五郎という人が、岩戸神社の前で薩摩軍の敗兵に間違われて官軍から殺されたが、高千穂町に記録は残っていませんか?」との問い合わせがあった。
西川功・甲斐畩常共著「西南の役高千穂戦記」によると、明治十年八月三十日の土持信贇日記に「八月二十一日に岩神源三郎庭ニテ薩人ニ切ラレ候肥後ノ人夫ノ親戚七名来ル」とあり、切った人が薩摩軍となってはいるが、どうも同一人物のことを書いていると思われた。
西南の役の最中、高千穂で直接の戦争ではなく命を落した作業員の名前が、熊本県益城町の松野氏の資料と高千穂の土持信贇日記を突き合わせることで百二十四年の時を越えて明らかになってきた。戦争の最中の殺人事件で命を落した陣又五郎氏も、きっとあの世で喜んでいると思うし、われわれは永遠に平和な世界を続けていく責任がある。
(高千穂町)
第4回(2001年6月22日)
絶滅危ぐ植物保護に協力を
公務員 緒方俊輔 37
クマガイソウは、本県レッドデータブックのIBの絶滅危ぐ種植物である。名前の由来は、鎌倉時代初期の武士、熊谷直実がよろいの背中に弓矢よけのために付けた袋、母衣(ほろ)に花の形が似ているところから付けられた。
高千穂町内でも私有林にひっそりと生息しているがマスメディアで紹介され問い合わせが増えている。見るだけならいいのだが、困るのは採って帰りたいと考えている人である。クマガイソウの根はとても深く、運良く穴が掘れたにしても、標高八〇〇〜一〇〇〇bの高山でないと移植しても枯れてしまうのだ。
高千穂町内には県指定天然記念物のフクジュソウもあるが、こちらも保護管理は大変である。植物の場合、動物のように逃げないため、心ない人たちに採られてしまう心配がある。
町の文化財保存調査委員会の会議が先日あり、クマガイソウを町指定天然記念物に指定できないかとの意見が出された。山でのマナーアップを呼び掛けたい。
(高千穂町)
第5回(2001年7月26日)
昔の集票記号だれか教えて
公務員 緒方俊輔 37
高千穂町田原の熊野神社から、明治四十年から昭和三年の神社関係の古文書が発見された。その中で興味深いものに、役員選挙の文書があった。
票を数える際、「正」という文字で五ずつ数えるが、その文書には見慣れない記号があった。すなわち、四角に×を書いて、その四隅の外側に足や点を描くのである。図に示すと、このような記号になる
\_/
h×h
/ ̄\
この記号一つで十を表すことになるが、私は見たことがなかったので、いろんな人に聞いてみたりインターネットで検索をかけたりしてみた。だが、現在までのところ不明である。
何という呼び名なのか?いつどこのだれが考案した記号なのか?思いは広がる。
何げない生活の一こまにも研究に値する風習が多いこの地域は、研究者にとって宝の山である。
読者の方で、この記号についてご存じの方は高千穂町歴史民俗資料館までご一報ください。
(高千穂町)
第6回(2001年7月31日)
なぞの「記号」は木材関係者使用
公務員 緒方俊輔 37
二十六日付の窓面でお尋ねした記号について、早速読者の方から返事が来た。十條製紙八代工場に勤務していた宮崎市の森山和文さんによれば、木材関係者が使っていたとのこと。
面白いのは、最初は四角の真ん中に×を書いて四方に足を延ばしていたが、買い手に記入を任せた際に、中央の×を書かずに四方の足を内側まで延ばして八で十とごまかす人が出たので、中央を×でなく十にして田という文字に足がある形になったという。
日南市の磯川正明さんは、日南パルプ勤務の際、田という文字に足がある形を「玉(ぎょく)」と呼んでいたそうである。
宮崎市の日高一典さんは、昔、日向市細島で、海運業者が炭の積み荷に記入していたのを見たとのことであった。
三人に共通するのは、木材関係者が使っていた記号らしいということ。将来、木材関係者の日記などが発見されれば、詳しいことが分かるかもしれない。皆さま、ご協力ありがとうございました。
(高千穂町)
第7回(2001年8月22日)
生物絶滅語る高千穂の地層
公務員 緒方俊輔 37
高千穂町岩戸上村の石灰岩の地層は、コロナ社「地学のガイド」に紹介され、中生代と古生代の境界として古くから知られていた。
最近、東京大学の磯崎行雄教授と大学院生の太田彩乃さんが、新しい林道のがけから、二億五千万年前にあった地球最大の生物大量絶滅の一千万年前にも、二段階で絶滅があったことを化石から発見した。
化石の名前はフズリナ。形態から紡錘(ぼうすい)虫とも言われている単細胞生物である。フズリナ自体は珍しくないが古生代末の二畳紀〜中生代初めの三畳紀の連続した地層が一ヵ所で観察できる点では、世界的にも珍しい。
二億六千万年前の大洋中央の海山の地層が、プレートの移動で日本列島に近づき、海溝に潜り込む際に付き、現在の場所にあるらしい。身近な所にあるがけが、二億六千万年という壮大なドラマを語ってくれる。
九月一日午後三時から高千穂町自然休養村管理センターで、磯崎教授と太田さんの講演会がある。多くの方々の参加を呼び掛けたい。
(高千穂町)
第8回(2003年5月28日)
ハモニカたんす触って確かめて
公務員 緒方俊輔 39
高千穂町歴史民俗資料館の展示物で、総合的な学習で訪れる小学三年生の児童に人気ナンバーワンといえば「ハモニカたんす」である。三田井神殿の森本紀勝氏から寄贈されたもので、引き出しを開閉すると内部に埋め込まれたハモニカが音を奏でる仕掛けである。開けたときの音と閉じたときの音が違うため、他人の開閉がいち早くわかり、盗難防止の効果もある優れものである。
音楽科のハモニカの演奏方法と理科の圧力についてと図工の便利な道具作り等文字通り総合的な学習に最適の民具。ガソリンと電気で動くハイブリッドカーの発想と同様に便利な道具と便利な道具同士を合体させるアイデアは、資源が少ない日本が今後も伸ばして行くべきことである。
博物館の展示物は一般に「さわらないで」というのが原則だが、この展示物は例外。当館は土曜日の小中高生の入館は無料だ。自分の耳で確かめてほしい。
(高千穂町)
第9回(2003年7月7日)
伝説や昔話の記録残したい
公務員 緒方俊輔 39
先日、三重県の四日市大学の高島愼助先生(体育史学)から「力石」の調査依頼があった。
高千穂町の力石といえば高千穂峡の「鬼の力石」があり、鬼八が投げたという伝説が残っている。大字上野の神の水には力士「荒木野」の墓が残っているが、力石はない。神楽にも手力雄命(タヂカラオノミコト)が岩戸を取る「戸取」という演目はあり、長野県戸隠村とは岩戸が飛んでいったという伝説がご縁で姉妹町村にもなっている。
しかし、実際に人間が持ち上げたものとしては記録に残る物はなかった。そこで文化財保存調査委員の興梠弥寿彦さんに尋ねたところ「大字下野・広木野の岩下不動尊にある」とのこと。地元の広本辰恵さんによると「春と秋の彼岸に若者が力自慢をしていた」とのことであった。
昔のことを知る人がご健在なうちに記録に残しておくことの重要性を感じた。ツーリズムの体験のメニューとしても使えるかもしれない。
(高千穂町)
第10回(2004年6月1日)
きちょうめんな土持信贇に感心
公務員 緒方俊輔 40
先日、山口県下関市の福仙寺(山城信応住職)から、江戸時代末期の三つの彗星(ドナチ彗星・一八五八年、テバット彗星・一八六一年、スイフト・タットル彗星・一八六二年)のスケッチが発見された。
年代が岩戸村庄屋の土持信贇(のぶよし)の年代と重なるため、「もしかすると彗星の記録があるかも」と思い調べてみた。すると安政五(一九五八)年八月二二日の日記にドナチ彗星の記録があった。
「暮六ツ時、西ノ方ニ帚星見ユル。当月十七日より顕れ候由也。寅卯之方ニ尾を曳。長サ数丈也。」
延岡・内藤記念館の増田豪氏に内藤家文書を見てもらったが、記載はなかった。改めて信贇の几帳面さに感心させられ、同時に、星空を眺める心のゆとりを持っていたいと思わされた。
高千穂町では平成十六年度古文書講座を六月より開講する。参加希望の方は高千穂町コミュニティセンターまでご連絡ください。
(高千穂町)
第11回(2004年6月17日)
文化財保存へ取り組みを期待
学芸員 緒方俊輔 40
今年1月、内藤家文書にも記載がある高千穂町大字河内西ヶ河内にあったと思われる「従是東南延岡領」の藩境石の一部「東南延」の破片が見つかり話題となった。
その後、宮崎県文化財保護指導委員(宮東一区)の藤野芳晃さんから「宮崎市下北方の景清廟に延岡藩の藩境石がある」との情報があり、ちょうど近くで出張の会議があった際に行ってみた。
景清廟の隣の孝女人丸の墓の覆い屋の基礎石だった。「従是北延岡領」の三面彫刻タイプの藩境石の「北延岡領」の部分で、上部の「従是」は欠損していた。
宮崎市文化課埋蔵文化財担当の稲岡洋道さんへ「予算と機会があれば代わりの石と取り替えて、博物館などで展示資料として活用した方が良いですよ」と伝えた。
貴重な文化財がその重要性を認識されないまま、まだまだ我々の足元に眠っている。世論の高まりと保存への取り組みに期待したい。
(高千穂町)
第12回(2004年7月7日)
彗星の古文書地方も調べて
学芸員 緒方俊輔 40
私は6月1日付本欄に岩戸村庄屋土持信贇の日記に、安政5(1858)年ドナチ彗星(すいせい)の記録があったことを書いた。その後、甲斐有雄日記から明治15(1882)年9月の大彗星が見つかり、高原町と三股町の古文書からも複数の彗星の記事があった。
最近、熊本県阿蘇郡長陽村が文化10(1813)年から明治20(1887)年の「長野内匠日記」を刊行した。この中にも、天保6(1835)年のハレー彗星と安政5(1858)年ドナチ彗星明治15(1882)年9月の大彗星の記録があった。
インターネットで彗星と古文書を検索すると、秋田や仙台、石川、東京など東日本の例が多い。
それらは、筆者の関心や視力、当日の天候はもとより、その後の文書の持ち主がいかに大切にしてきたかという多くの偶然で分かったものにすぎない。中央の歴史だけでなく地方の歴史もいま一度よくよく調べてみる必要がある。
(高千穂町)
第13回(2004年8月21日)
幻の「大竹城」今後の調査望む
学芸員 緒方俊輔 40
西川功著「高千穂太平記」(1972年)の194〜196頁に、三田井埋立(現在の佐藤眼科)の佐藤家系図がある。その中の忠重と忠祐の親子に、「延岡大竹城主」と書かれている。
本県の中世山城については、県教育委員会「宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書」1(1998年)と2(1999年)に詳しいが、それらを見ても、延岡市大貫町の西階城は載っているが、大竹城は載っていない。
また、市教育委員会「市内遺跡詳細分布調査報告書」(1996年)には2026番に大武遺跡が中世〜近世の散布地として掲載されていた。古文書では、音が同じで違う文字を使う場合も多いので、大竹が大武である可能性もある。
現時点で、佐藤家系図に残る大竹城が大貫の西階城なのか、大武遺跡なのかを速断はできないが、今後、古文書や棟札などの調査から忠重、忠祐親子の名前が出てくるかなどに期待をしたい。
(高千穂町)
第14回(2006年6月24日)
「蹴転」キノコにムラおこしの夢
地方公務員 緒方俊輔 42
高千穂町大字五ヶ所で蹴転(けころ)と呼ばれるキノコがある。和名をツチグリというキノコの幼菌で、味噌汁に入れて独特の食感を味わったらしい。
大人の菌は、星の形に殻が開き英語では「地面の星」と言われる。また、湿度によって開閉することから「森の晴雨計」とも呼ばれる。足で踏むと胞子が吹き出すので「忍者ごっこ」にも使われたキノコである。幼菌を食べる風習は珍しく、不食と紹介されている図鑑も少なくない。
ネットで検索すると、福島県では「豆団子」、熊本県では「土イボ・柳ダゴ」、鹿児島県霧島市では「ころべ」と言われ、タイでは缶詰が販売されている。
世はワールドカップで盛り上がっているが、「蹴転」と呼ばれるキノコで、ムラおこしができないものかと期待している。
(高千穂町)
第15回(2006年9月3日)
「九州観光検定」挑戦を続けたい
地方公務員 緒方俊輔 42
福岡商工会議所が行っている「九州観光マスター検定」の第1回の3級と第1回の2級を受験した。ほかのご当地検定と違う点は、単なる知識の暗記にとどまらず、マーケティング理論とホスピタリティ(おもてなしの心)も学び観光のプロになるものである。博物館も観光施設として位置づけられており、学芸員も受けて損はないと思う。
近年の観光の形態は、これまでの団体の宴会型観光から、個人の体験型に変わり、さらに近年では移住、定住も視野に入れた交流に変化している。上山信一、稲葉郁子著「ミュージアムが都市を再生する」という本にも書かれているが、博物館の地域再生の核となるべき役割が、ますます増大したように思う。
さて試験であるが、事前の対策講座で問題の傾向と対策を勉強したので、第1回の2級合格者260人の1人になることができた。1級の試験は19年度に行われるらしいが、スキルアップのためにも挑戦したいと思う。
(高千穂町)
第16回(2006年12月26日)
村おこしにはネーミング大切
地方公務員 緒方俊輔 43
先日、九州人形フェスティバルが大分県中津市であり、柚木野人形浄瑠璃のみなさんと研修に行った時のこと、大分市に入って道路の左側に「若妻の店」という看板があった。
行きは急いでいたので寄れず、帰りに気になって立ち寄ったところ、地区の女性部の物産販売所であった。若妻らしき人はいないかなーと探したが、元若妻さんが多かった。看板の文字の剥がれ具合から推測するに20年は経っているようであった。すなわち、看板に偽りはなかったようだ。
土産話に誰かに教えてあげようかと思い、何町かを調べようとバス停の文字を見て一同大爆笑。なんと「今市(いまいち)」という場所だった。(従業員の若妻さんスミマセン。)
帰ってからネットで検索すると、結構有名なようでブログに書いている人が多かった。ネーミング一つとっても村おこしには重要だと再認識させられた。
(高千穂町)

第17回(2007年4月27日)
信州の古文書に天岩戸逸話記載
学芸員 緒方俊輔 43
先日、成溪中学・高等学校の柄木田文明さんから、長野県千曲市の中条唯七郎が天保二(一八三一)年に書いた「九州道中日記」のうち高千穂町関連部分の抜き刷りが届いた。
中条唯七郎は岡藩へ養蚕を広めにやって来るが、竹田で高千穂の話を聞いて興味を持ち訪問しているようである。
中でも驚いたのは、九月四日に竹田の挾田村の三本松の勇蔵という人に聞いた話で「昔、高千穂にいた者で伊勢参りをしたいと思っていた者が、ある日、天岩戸の窟中に入ってしまった。そこで神翁に出会い『伊勢に参りたいのであればここも同様なので篤(あつ)く拝みなさい。なおこのことは他言無用』と言われ、約束を守っていた。ある日酒の席で思わずしゃべってしまい、罰が当たって死んでしまった」という話である。
スピリチュアルな内容であるが、高千穂に残っていない話が、信州の古文書に残っていたということは大変貴重なことだと思った。
(高千穂町)
第18回(2007年10月23日)
地域に根付く行事生かそう
地方公務員 緒方 俊輔 43
先日、大阪の小学校の女性教諭からメールを頂いた。
「今、一年生の子供たちとお月見の学習をしています。秋山榮雄著民俗探訪ふるさと365日(下)』(鉱脈社)の中で高千穂町のお月見の風習が紹介されていました。お月見の日に、子供たちが家を回ってお供え物を頂いたり、女の子が針に糸を通すと縫い物が上達するといういわれがあるとのこと。現在も続いている地域はあるのですか?」という質問だった。
いろんな人に聞き取りをしたところ、押方の跡取川公民館と岩戸の五ヶ村公民館で現在も行われているとのことであった。民俗行事については、民俗芸能と比較してあまり調査研究がされていないので急な質問への答えを持っていなかった。
逆に言うと、都会の人々が田舎に求める材料を教えてもらった気がするので今後、グリーンツーリズムなどに生かせないかと思う。
(高千穂町)
第19回(2008年2月13日)
「牛ふん紙」を作ってみたい
学芸員 緒方 俊輔 44
先日、串間市の都井岬に行った際、串間市教育委員会の秋田優さんから岬馬のふん百パーセントで作った「馬ふん紙」を見せていただいた。
都井岬には百二十頭の野生馬が生息し、毎日二dもふんをするそうだ。五時間煮たものは真っ白で紙そのもののしなやかさもあった。二時間煮たものは若干黄色みがっかっており、折り曲げるとポキッと割れてしまうそうであったが、こちらの方が味があって人気があるそうだ。ちなみに一枚五百円で販売されているそうだ。馬年の年賀状に馬ふん紙というのも面白いと思った。
来年は牛年である。高千穂には和牛日本一の高千穂牛があるではないか。ネットで調べてみると、タイでは象のふんで紙を作っているようだ。一方、牛の糞ふんはアフリカのマラウイのムジンバ県のHIV孤児支援施設「ティコレラネコ」が作っているようだ。
においはかなり臭そうだが、地球環境には優しいし、ちょっと作ってみたくなった。
(高千穂町)
第20回(2008年3月9日)
「牛ふん紙」の試作へ準備中
学芸員 緒方俊輔 44
二月十三日付の窓欄に「牛ふん紙を作ってみたい」が掲載された後、ある女性が資料館に訪ねてこられた。岩戸の土呂久で畜産をされている佐藤浩美さんであった。「牛ふん紙を作るのに興味があるのでぜひ参加したい。」とのことであった。作りたいとは書いたものの、私自身牛を飼っているわけでもなく具体的な計画はまだであった。
九州地方環境事務所阿蘇自然環境事務所の永原彰子さん阿蘇の赤牛のふんで紙を作られたそうなのでノウハウをお聞きした。においについては、乾燥したふんを使えば臭くないとのことであった。工程としては繊維を取り出し重曹をまぜて二時間煮込み、糊を加えミキサーにかけて漉き枠に流し、アイロンで乾燥するとのこと。牛は胃が4つあり反すうするため繊維の量は馬や象に比べると少ないが、繊維が有れば紙はできる。
現在、繊維の入った牛ふんの入手と乾燥を佐藤さんにお願いしており、準備ができ次第試作の予定である。
(高千穂町)
4月10日の「歩廊」の記事を見て下さい。↓
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?blogid=8&archive=2008-04
第20回(2008年7月3日)
ネット情報に惑わされるな
公務員 緒方俊輔 44
熊本県人吉市の青井阿蘇神社境内のおがたまの木に「一円玉の表側の植物のデザインがおがたまである」という看板が立っている。高千穂町の天岩戸神社西本宮境内にもおがたまはあるが、そのような話は聞いたことがなかった。
早速ネットで調べてみたところ、一九五四年に一般公募で二千五百八十一点の中から中村雅美さんという方のデザインで、「若木(実在の植物ではない)」とのことであった。
神社を訪れる方々は、物事を良い方に考えたい方が多いと思う。また一方では、真実を調べてみたい人もいらっしゃる。ネット上には、「実際にデザインされた中村雅美さんが、ある寺の住職から一円玉の植物がおがたまでという話を聞いた」という裏話まで載っていた。
実際にネット検索をされる方々は少ないとは思うが、何かの疑問を持たれたときの解決のヒントになると思う。もちろんガセネタもヒットするので、くれぐれも惑わされないようにしたい。
(高千穂町)
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