高千穂町の民謡



「刈干切唄発祥の地、国見ヶ丘」から見た三田井の遠景
(左下にあるのが「とうび」)

2011年1月4日高千穂町成人式にて
(歌:興梠則夫氏、尺八:川辺隆氏)
BGMで流れます。

刈干切(かりぼしきり)

ここの山の刈干しゃすんだよー 明日はたんぼで稲かろかよー
高い山からにぎりめしこけたよー からすはよろこぶわしゃひだりよー
(高い山からにぎりめしこかしゃよー からすよろこぶわしゃひもじよー)
もはや日暮れじゃ迫々陰るよー 駒よいぬるぞ馬草負えよー
秋もすんだよ田の畦道をよー あれも嫁じゃろ灯が五ちよー
屋根は萱葺き萱壁なれどよー 昔ながらの千木を置くよー
歌でやらかせこの位の仕事よー 仕事にすりゃ日が長いよー
高い山々どの山見てもよー 霧のかかならぬ山はないよー
お日は照る照る刈干しゃ乾くよー さぞやよろこぼ牛馬はよー





神楽せり唄
 「神楽せり」はかつては夜神楽には欠かせないもので、神楽宿の庭先で「ほしゃ」でない青年達が他集落の青年達と気勢を張り合うものでした。この時歌われたのが「神楽せり唄」ですが、残念ながら今日「神楽せり」もその唄も、神楽宿では滅多に味わう事はできません。

こよさ夜神楽にゃ せろとて来たが サイナー  せらにゃそこのけ わしがせる ノンノコサイサイ ヨイヨイサッサヨイサッサ ヨイヨイサッサヨイサッサ
こよさ夜神楽は十二の干支で サイナー  飾りたてたる かみ神楽 ノンノコサイサイ…(以下同)
神楽太鼓に 気は浮かされて サイナー  いつもどんどと鳴るばかり ノンノコサイサイ…(以下同)
せろやせろせろ舞だちゃせろや サイナー  せってくれろと頼まれた ノンノコサイサイ…(以下同)
神楽しまゆりゃ奉仕者(ほしゃどん)が帰る サイナー  あとに残るは注連柱 ノンノコサイサイ…(以下同)
雨が降ろとて天王寺山の サイナー  松の緑がそよそよと ノンノコサイサイ…(以下同)
思い山々どの山見ても サイナー 霧のかからぬ山はない ノンノコサイサイ…(以下同)
松の葉のよなこまい気は持つな サイナー 広い芭蕉葉の気をもちゃれ ノンノコサイサイ…(以下同)

以下は「神楽せり唄」の中でも旋律が異なったもので、椎葉村に同様のものが伝わっているそうです。

高ちゆの ほしやは あかぎれ足に ひねり足袋 けくじ チンガリバッサリ舞るばい
ほしやどんたちぁ 芋喰ち 屁ひっち それくれにゃ 舞わにゃ トーキビ団子 スカワリタイ
ゆだきん坊の ほしやが ゆさり カカかり
おごられた だごじる ひっかけち おりかけ しぎゆ ぼくしたばい
ヨイヨイサッサ ヨイサッサ


     
下野神楽の神楽せり(1993.11.22)    向山尾狩神楽での神楽せり(1996.1.14)

木挽(こび)き唄
高千穂で林業が盛んだった時代、切り出し現場を渡り歩く「山師」と呼ばれる人々が多くいました。「木挽き唄」は彼らの労働唄として伝えられています。

山で子が泣く 山師どんの子じゃろ 何処で育ちゅか 山小屋で
山師や来たげな 奥畑山に ノコとヤスリの 音がする
山師やどうしたもんの 一升メシ喰ろうち ノコの柄のような くそたれる
山師さんたちや 一升メシ喰ろうて 親子三人口 引いてとる
山でチョンチョンすりゃ 木の根が枕 木の根はずせば 石枕
ノコよ下がれよ 墨まで下がれ われとおれとの 金もうけ
切れてくだされ 新歯のノコよ おまえ切れなきや 身が切るる。
ノコもヤスリも バンジョの金も 引いて下だんせ 米の代
山師する子は 面にくけれど ノコの引きぶりや 男前え
七十木挽きな もの言うな娘 木挽きや七十が 花じゃもの






【参考文献】
加藤数功・立石敏雄編「祖母、大崩山群」しんつくし山岳会(1959)
熊本商科大学民俗学会「民俗調査報告書高千穂」(1969)
高千穂町「高千穂町史」(1973)
原田解著「五つの流れの歌〜宮崎民謡紀行」鉱脈叢書(1981)
田尻恒「高千穂夜話」鉱脈社(1981)
高千穂町教委「高千穂の夜神楽」(1987)
土持孝雄「神楽せり歌と神楽囃子」宮崎県民俗学会「宮崎県の民俗」第49号(1994)


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