高千穂周辺の神楽写真ギャラリー 諸塚神楽「南川神楽」(2008年度)


諸塚村 南川神楽 平成21(2009)年1月31日〜2月1日 於:梅の木公民館

No. 演目 人数 内容 JPG
準備 全員 諸塚村の戸下神楽や南川神楽は、日之影町鹿川神楽などと同様に神高屋(御神屋)を庭に張り出す特設ステージとして設置しています。高千穂神楽の外注連にあたるのが高天原で南、部屋の中にも注連があり、舞人の楽屋及び笛・太鼓の演奏場所にもなっていて、面様は神前で北に並べられている。東と西は、観客席になっていて、青竹の柵に酔っぱらった人達が神楽せりを行う場所にもなっている。

門入れ(かどいれ) 全員 13:00保存会長挨拶。




お祓い 全員 13:31〜13:39。
梅の木神社下の広場へ移動 全員
道行き 全員 14:02。太鼓と笛の演奏が始まる。
14:07。「神の道千道百道その中に中なる道に神はまします」の神楽歌あり。
14:10。役割分担が発表される。
道行きの先頭の獅子舞が参拝者の頭をかんで回っている。



舞入れ 全員 14:25。神楽宿に到着。椅子が4脚用意され、春日・神官・天照大神・八幡が座る。
鬼神・天神・荒神の順で舞う。
14:41。春日と八幡が同時に舞う。
14:44。稲荷が舞う。
14:48。全員が舞う。



祭典 全員 14:50〜15:24。祝詞奏上。玉串奉献。始まったばかりの頃の焼酎の量はまだ棚に余裕が見られます。これから参拝者が増えるとともに段々増えて行きます。なお、カメラは建物内から撮影を許可していただきましたが、建物内は一般の人の立ち入り禁止の紙が貼られて関係者のみしか入れませんので、この角度からの撮影は一般の方は困難です。外はたき火がガンガン燃やしてあります。この煙が部屋の中に入ってくるので涙ボロボロでの拝観でした。外には青年団のバザーでうどん・やきとり・ワンカップ・ビールなど販売されていました。また、受付ではパンフレットが300円で販売されていました。演目のめくりが無いので、演目を知るにはこのパンフレットは非常に参考になります。
もちまき 紅白餅が袋に入っているので地面に落ちても衛生的だった。チョコレートや飴なども入っていた。
拝み 神官代2人+氏子4人 15:38。「八百万大神が鎮座まします神高屋(仮の宮)を浄める舞で、洗米を蒔き清める。洗米は持ち帰って飯に炊き込みいただくと、一年中健康であると言われ、願いごとでもある。」とパンフレットに説明されていた。東西南北中央に拝んだ後、舞人が米を紙に包んで素襖の袖をくるくる通す所作をしていたのが不思議な光景だった。どういう意味があるのか?不明だった。
そして竹に挟んで持って帰ってあった。
「今夜の今宵のせいしょうの氏人の御祈祷の為にとてお祈りの為にとてしんあればとくあるこれよりも東の方に立ち向き立ち直り三度の拝みを参らするおんもらいして参らする三たびの拝みを参らする。」「今夜の今宵のせいしょうの氏人の御祈祷の為にとてお祈りの為にとてしんあればとくあるこれよりも南の方に立ち向き立ち直り三度の拝みを参らするおんもらいして参らする三たびの拝みを参らする。」「今夜の今宵のせいしょうの氏人の御祈祷の為にとてお祈りの為にとてしんあればとくあるこれよりも西の方に立ち向き立ち直り三度の拝みを参らするおんもらいして参らする三たびの拝みを参らする。」「今夜の今宵のせいしょうの氏人の御祈祷の為にとてお祈りの為にとてしんあればとくあるこれよりも北の方に立ち向き立ち直り三度の拝みを参らするおんもらいして参らする三たびの拝みを参らする。」「今夜の今宵のせいしょうの氏人の御祈祷の為にとてお祈りの為にとてしんあればとくあるこれよりも中央の方に立ち向き立ち直り三度の拝みを参らするおんもらいして参らする三たびの拝みを参らする。」
似たものは、高千穂神楽の上野・田原系統(上野神楽など)大神の最後の願成就に見られる。






神高屋ほめ 神官代2人 「神高屋の敷地建物の謂を唱え、注連縄、幣飾、太鼓、笛鈴の音色をたたえ、神々の御出ます神高屋は清らかな斎場であると唱え歌う」と昭和61年3月28日に椿運氏が書かれたパンフレットに説明されていた。以下、パンフレットは椿運氏の書かれた内容である。
南川神楽のガタは、高千穂神楽では太鼓の胴を叩くのに対して、小口と反対側の縁の部分を叩いていた。
地割(上) 道俣神・事代主神・建御雷神・五十猛神 「注連ひけばここも高天の原となる。集まり給え八百万代の神。」と歌う。生活のために土地をいただき、その土地を清める国造りの舞という。地神荒神を敬い舞う神楽ともいう。上の舞は毛笠をかぶり、榊と鈴、下の舞は襷と剣を持って悪魔を払い安全豊作を願う。襷は安産を願う若妻の〆帯にする慣わしもある。この神楽はすべての神楽の基本となるので、初心者は必ず習得しなければならない舞いである。とパンフレットに書かれている。
ちなみに、南川神楽での式三番にあたるものは「地割」「とうせい(森・愛宕)」「鬼神」ということで、「地割上」「地割下」「森」「愛宕」「鬼神」の五番となり、日神楽ではおよそ2時間に及ぶらしい。



地割(下) 道俣神・事代主神・建御雷神・五十猛神 襷の手と指の手と剣の手。宝ゆずりは、高千穂神楽では舞人と氏人が整列して行うが、南川神楽は舞人は舞ながら歌を歌い、1人だけ氏人が宝を取る形で、見た目も異なっている。最後の方の高速スピンが見所である。





山神・水神 5番森は、6番の愛宕と一連の舞で「とうせい」神楽という。「愛宕山くらまの光滝の水。ごおうの光色やすまらん。」と歌う。
烏帽子をかぶり、舞い衣を着て五番の舞は扇と鈴、六番の舞は幣と鈴を使って舞う。家代村の田谷付近の事を唱えて、森には木が繁り、木が三本繁れば森と言い神が宿る、生活に必要な水が湧く、鳥獣が住み生活を助け、山には山の神が宿る。清らかな湧水は川となりて大川に注ぎ水神が住むと唱えている。北方に深山あり釈迦の浄土(お寺)と拝まれ給う。寿命長久財宝充満五穀豊穣のために愛宕三大権現(家代神社)を祀ってあると説いて舞う。
17:22〜17:52。






愛宕 山神・水神 17:52〜17:58。御幣の手。


鬼神 神面猿田彦大神+連舞1人 パンフレットに「天照大神の外神々が高千穂の峰の天下り給うとき、天からの案内は天鈿女神、この一行を迎えて道案内が猿田彦大神で、逞しい美男の神であったという。後に天鈿女神と結婚されたという。」とある。天照大神とあるところは、天孫降臨なので瓊々杵尊と書いて欲しかったところです。
連舞と言われる引き出し役は元気に登場する点は、日之影町岩井川系統の大人神楽や尾狩神楽や黒仁田神楽とも共通していますが、岩井川系統の大人神楽や尾狩神楽や黒仁田神楽では荒神が座張りという大暴れする舞であるところは異なっています。
戸下神楽や南川神楽では荒神舞の登場の仕方が独特で、神高屋に入る前から舞っていて連舞に引き出されて入ってくるのが特徴的です。



御大神(上) 神漏神・神漏弥神・忍穂耳神 パンフレットには、「この舞いは神おろし、ともいう八百万大神を神高屋に招き降す舞いで、舞衣を着て、烏帽子をかぶり神々が御降臨座すことに感謝して舞うのである。上の舞は榊と鈴、中の舞は洗米を膳に入れて捧げ持って、下の舞は弊と鈴を使って舞う。
「千早ふる神に幸あるときはほんぢすいしゃくあらたなりけり」と歌う。
舞い終わると御神酒が出て祝子は神高屋で有り難く召し上がる。参観者にも振る舞われる。この神楽が終わると神楽ぜきが許される。また、女の人も神宿内に上る事を許される。」とあります。
本地垂迹説=本地の仏・菩薩が衆生を済度するために、迹(あと)を垂れて我が国の神祇となって現れるとする神仏同体説。奈良・平安初期に始まり、明治の神仏分離により衰えた。(広辞苑より)
18:13〜18:53。




御大神(中) 神漏神・神漏弥神・忍穂耳神 膳の手。18:53〜19:18。


10 御大神(下) 神漏神・神漏弥神・忍穂耳神 御幣の手。19:19〜20:04。途中でシシ2頭乱入。





11 天神 神面+連舞1人 パンフレットに「地の神が猿田彦神で、天の神はこの天神と言われ、神々が天降りの時にお供した神という。威厳のある神面である。」とある。
瓊々杵尊とは書いていない上、天降りの時にお供した神とのことで神の名前は不明。梅の枝が頭にあるのは、菅原道真公を意識したものだろうか?は不明である。
20:04〜20:16。




12
村方 青竜王・赤竜王・黄竜王・白竜王・黒竜王・山神 パンフレットには「「ありがたや天の岩戸の御神楽はありがたかろうや末は目出度し。この山は精ある山か是非無くば山守すえて吾山にせん。」と歌う。烏帽子をかぶり舞衣を着て、鈴と扇を持って舞う。山守神楽ともいう。天と地、天体の原理は有り難いものぞ、日は東からでて生物を守り西に入る、天地自然の恵に生きる物はすべて神々のお陰なりと説く、大らかな優雅な舞である。」とある。
高千穂神楽の山森にあたりそうだが、6人舞で人数は2人多い。また、採物も高千穂神楽では弓矢や太刀と鈴であるが、南川神楽では扇と鈴である。
20:17〜21:14。






13 八幡大神 神面+連舞1人 パンフレットに「弓矢八幡大神とも言われ、弓矢の神で、大昔は弓矢で鳥獣をとり大事な食糧としたので八幡大神を祈り祀った。」とある。
21:15〜21:29。


14 弓の正護
(上)
天日鷲神・月読神 パンフレットに「「あづた弓角はずかけてつるかけて、我が行く先の悪魔払わん」と唱え歌う。鉢巻には室冠をはさみ、襷がけ、矢を負うて舞う。弓は七尺五分にたいどり、矢をば三尺二寸に、羽をば四寸一分にはがせ給う等と、それぞれの部分に神が宿り給うと説いている。上・中・下と三つに区切って舞うが、太鼓の調子も一番早い。軽快勇壮な動作が要求され、若者の祝子が似合う舞である。」とある。
あづた弓はあづさ弓、室冠は宝冠の誤植と思われる。
榊の手。21:29〜21:54。


15 弓の正護
(中)
天日鷲神・月読神 弓の手。21:54〜22:19。弓の大きさは七尺五分よりかなり小さいが、赤白にテープが巻かれ、うまい具合に曲線を作ってある。

16 弓の正護
(下)
天日鷲神・月読神 矢の手。弓の手。開き扇。22:19〜22:46。千早を着用している。



17 住吉 住吉大神・八幡大神 パンフレットには「「住吉の松のひまより眺むれば月おいかかる出雲島なり。住吉の松に小鳥が巣をかけていかに小鳥が住みよかるらん。」と歌う。舞衣を着て烏帽子をかぶり鈴と扇を使って舞う。練りながら舞う優雅な神楽である。舞衣の袖を巻き又ほどき、静かに波打つような所作を繰り返し、落ち着きのある古老向きの見ごたえのある舞いである。」と書かれている。22:47〜23:17。




18 荒神 荒神(瓊々杵神・猿田彦神・天村雲神)+連舞3人+神主(天穂日神) パンフレットに書かれていない「舞荒神」があって、「三宝荒神」「柴入れ」と続き、「舞荒神」がある。
パンフレットには「一荒神は山の神ともいい、榊を腰に差し、山を支配する神は吾なるぞと荒ぶる神である。二荒神は築地荒神ともいう。神を祭る社や鳥居を建てる時は吾のゆるしを受けよと権力を説いている。三荒神は、この世は吾が指示に従い暮らせと、現代の社会教育のようなことを説いている。以上の三つの荒神を三宝荒神という。それぞれ神主と掛け合って争うが、最後には民人(住民)のためにと神主と仲直りをする。氏人達もこれを喜び「柴入れ」を大勢の若者が行い祝う。夜中頃の神楽で、夜中の荒神ともいう。祝い事の雑炊が出て皆でこれをいただいて食う。腹ごしらえの食事でもある。」と書かれています。23:58〜1:10。














19 稲荷 春日大神・白髭大神 パンフレットには「「稲荷山とおりて聞けば面白やいつも絶えせんお神楽の音」と歌う。舞衣をきて烏帽子をかぶり、稲荷弊を腰に差し、始めは鈴と扇を使い、中頃に弊を使い最後に舞衣を脱ぎ左右に振り降り膝を折って舞う。食物の稲の神の舞で優雅な重みがあり、練り乍ら舞う古老の所作はうっとりとなる見ごたえのある神楽である。夜中の稲荷ともいわれている。」とある。
南川神楽には、19番と37番に稲荷があるが、19番は素面、37番は着面である。1:11〜1:53。




20 新地割(上) 天鈿女神・丁津媛・木花開耶媛・大屋津媛 パンフレットに「「注連引けばこゝも高天の原となる集り給え万代の神。雨は降る高天の原を通り来て清瀬の浜で吾身清めん」と歌う。鉢巻に宝冠をつけ、上の舞は鈴と榊を持って舞い、下の舞は鈴と剣を使って舞う。日の本高千穂は、神の国で美しい清らかな里、その里に住む我々は身を浄め神をたゝえて暮らそうと説き、祝子達は合唱し乍ら威勢よく舞う。」と書かれています。
1:53〜2:35。



21 新地割(下) 天鈿女神・丁津媛・木花開耶媛・大屋津媛 剣の手。宝渡し。開扇の手。2:35〜3:00。



22 沖江(上) 天村雲神・天種子神・事代主神・月読神 パンフレットに「「沖えある舟は島にぞ急ぎける。これ竜宮の御座の舟かな。」と歌う。毛笠をかぶり、鈴と水神弊を使って、上、下の舞とも舞う。竜宮の水神を招き、海の守り、水の守りを願い、谷川の清らかな水、生きるために大事な水を守れと願って舞うのである。又魚も食糧になり海の魚貝を生活に使わせていただく御礼のために舞うともいう。」とある。3:00〜3:34。



23 沖江(上) 天村雲神・天種子神・事代主神・月読神 御幣の手。4人舞のはずだが、2人舞だった。3:34〜4:00。


24 神随(上) (経津主神・建御雷神・天日鷲神・月読神) パンフレットに「天照大神がどこにお隠れになったのかと、山や谷を渡り岩間を潜り、天の岩戸に近づくで、鈴と剣を使って勇壮に舞うので岩潜りともいう。鉢巻に宝冠をはさみ、襷をかけ、真剣を使って若い祝子が、気合を揃えた隣同士の剣先を握り、輪になって四人の剣を潜ったり、体を反らして潜る八方返し等スリル満点、四人舞から三人舞、二人舞と、最後に一人で振上げの舞、剣二振りを両手に持って中央を握り、空を切って両脇にだき込み、前方に回転する力のこもった動作は見ている者も手に汗を握る力強い舞である。」とある。
今年は(上)をさらに細分して小学生と中学生とで2グループで行った。




25 神随(下) 建御雷神・手置帆負神・猿田彦神・五十猛神





26 午頭天(上) 素盞鳴神・木花咲耶媛・五十猛神・瓊々杵神 パンフレットに「「すさのおのみことの宮に参りておがめば出雲やしろの神となるなり。」と歌う。毛笠をかぶり午頭天弊を使って舞う。素盞鳴神(午頭天王)は諸国を廻って生活を指導した。日本の国を治める者は吾なりと自認し天照大神と争ったので、大神は岩戸にかくれた。素盞鳴神は手力男神に諭されて、岩戸の庭で天照大神のお出ましを願うことになった。神々達が舞う神楽の面白さ、笛太鼓の音色に、大神は岩戸を少し開いた所光がさし出て神々しく皆喜びを感じた。調子が早く勇み立つ舞いで、途中から国生み、人生みのためにと「歳の神」が現れて、男根を使って子孫繁昌を願って、四人の舞手と共に面白く舞う。」とあります。5:01〜5:42。
27 午頭天(下) 素盞鳴神・木花咲耶媛・五十猛神・瓊々杵神  5:42〜6:18。






28 伊勢(上) 天兜屋根神とあるが天児屋根神の誤植か? パンフレットに「「伊勢の神熊野の神の親なれば伊勢こそ神の始めなりける。」と歌う。上の舞は舞衣を着て烏帽子をかぶり、鈴と弊を使って舞う。この神楽から太鼓の調子が変る。畳一枚の上で静かに舞う古老の味のある舞である。」とある。
6:18〜6:38。


29 伊勢(下) 天兜屋根神とあるが天児屋根神の誤植か? パンフレットに「下の舞は、伊勢の延喜という舞である。「白衣のにぎてを枝に折りかけて舞えばぞ開く天の岩屋戸」と唱える。七首の歌を歌い天照大神のお出ましを待ち、いよいよ大神がお出になる情景を歌い喜びの表情が浮かんで来る。」とある。
6:38
途中で参拝者に味噌汁が出された。

30 岩戸(上) 神面、春日大神 パンフレットに「「春日山峰の榊のくちせずはかがみをかける枝も変らじ。」と歌う。岩戸の前に植えた榊の枝に曲玉をかけ、中の枝に八つの鏡をかけ、下の枝に白衣みてどりをかけて神楽を舞い、十二の楽譜と、ざわめきを天照大神は聞いて、岩戸を少し開ければ、この時日本はおぼろ月夜となりにけり。嬉しさに赤青色の大弊を振り振り、喜びをたゝえ、タタラという足踏みをして喜びの表現をする古老の舞いである。」とある。
6:52〜7:27。


31 柴取 神面、香兜山神、+連舞1人 パンフレットに「神楽を舞うために岩戸の庭に植えた榊が邪魔になるので引抜いてなげる、力強い神である。「天照大神いでさせ給うことなれば吾八百万大神の力を出して引抜きたり。」と喜び勇んで引き抜いた榊を振り廻し、榊を投げれば、高天ヶ原に逆に根付いたので「さかき」という。」とある。
7:27〜7:40。
村人と力比べみたいな感じだった。




32 戸取 神面、手力男神+連舞1人 パンフレットに「岩戸の隠れた天照大神が、仲々出て来ないので腹をたててか、真っ赤な力強い神面、赤色のオクチ(舞衣)を着て赤襷で荒々しく舞う。逞しさが躍動する。力いっぱい岩戸を取ってなげる。「あゝら出で来れ大神さま」と一方の戸を取ってなげれば山田ヶ原につきにけり。又一方の戸を取ってなげれば日向の国檍々原につきにけり、この時「日の神さやかに拝れ給うなり」と唱えて喜び舞う。
7:40〜7:50。
これも村人との力比べだったが、偽物の戸に千円札を置いて「どっちが良いか?」と聞いていた人がいて笑いが起こっていた。
唱行では、戸が2枚だったが、実際に取ったのは1枚だった。





33 岩戸(下) 神面、天照大神・春日大神 パンフレットに「神々の代表、春日大神が天照大神の手を取って岩戸から引き出す舞で、時刻も夜明けの太陽が昇る頃となる。月と日を両手に持った天照大神を迎え出ると、この代が安泰となったと神々は喜び合う。夜神楽のクライマックスである。氏子等、見物の皆さんも有り難さに手を合わせ、しばしの間見入っている。「天の戸を開きて拝めば春日なる天照る神のすがたなりける。月と日を諸手に持ちて月こそはめでたかりけり夜も照らさる。」と歌う。この代の有り難さ、幽玄さに魅いるひとときである。」とある。
明け方、高千穂神楽の岩井川系の尾狩神楽や黒仁田神楽と同様、天照大神役の子供オーディションが行われる。今年の子供は過去2回選ばれた子供で延岡市城山神楽まつりにも参加したというベテランであった。
春日大神の手の形が、太陽や月や合掌など変化する所が面白いと思う。
7:50〜8:20。






34 浮輪取 神面、天鈿女神+連舞1人 パンフレットに「天鈿女神が天照大神がこの代を治めることになった喜びの舞という。浮輪を結びつけた面棒を使う。」とある。
8:20〜8:30。
高千穂神楽の鈿女は、岩戸が開く前にあるが、南川神楽は開いた後にある。その解釈の違いが、場所それぞれで面白いと思う。


35 火の神 天津兜屋根神・神漏岐神・手置帆負神・猿田彦神 パンフレットに「「土社神はいづこに煙立つ民の窯はにぎわいける。」と歌う。窯荒神は家の安全を守る神、食事を司る神、災難を払う神でもある。生活には大切な火であるから、火伏せのためと念じて舞う。」とある。ここでは、「窯という文字より竈を使った方が良いのでは?」と思う。
舞人は、今年は梅の木集落の最も端にある家の竈に移動し、そこでも「火の神」を舞い、接待を受けて戻るそうであるが、ついて行ってしまうと、36番〆口と37番稲荷が見れないので、この年はついて行っていません。
おそらく、墨(へぐろ)付けも見られたと思いますが、残念ながら行っていませんので不明です。



36 〆口 神漏岐神・神漏弥神・手置帆負神・天津兜屋根神の4名が書かれているが、6人舞だった。 パンフレットに「舞衣に烏帽子をかぶり鈴と扇を持ち注連竹に結びつけた、願の紐を別けて引き合って舞う。いよいよ最後の神送りである。「このほどを結びこめたる願の紐今こそ解ける神の心よ」と皆で歌いながら紐を潜り、練ってほどき、諸願成就の終った神送りの舞いで、現代での別れのテープにも似ている。集まった神々はこの舞がすむと神庭から昇天するといわれている。」とある。
最後の神送りと椿運氏は書かれているが、実際は37番稲荷の後で神送りが行われていた。
9:15〜9:41。
みどりの糸は、高千穂神楽の一般的な4本よりも多く、6本あった。

37 稲荷 神面、稲荷大神+連舞1人。連舞1人も狐面を着面していた。 パンフレットに「諸願成就となりすべての神楽行事が終った。又新しい年の豊作を祈って稲荷大神の舞であります。夜を徹して二十余時間、舞い疲れた祝子達も、見物客も又来年の出会いを語り去って行くが、山里は日本人の生活の古里、まつりの古里でもある。」と書かれています。9:41〜9:53。


神送り 全員 神楽終了の神事。9:53〜10:00。

※南川神楽は、毎年1月最終土日もしくは2月第1週土日頃行われます。およその日にちが決まっていますが、変更される場合もありますので、あらかじめ日程を確認してください。
※南川神楽は、諸塚神楽の戸下・南川神楽系に分類されていますが、戸下神楽が「八子」という人形御幣なのに対して南川神楽では「くぜん」という人形御幣を飾るなど細部に違いも見られます。
※高千穂神楽と諸塚神楽を比較すると、高千穂神楽は神道化が進んでいて、諸塚神楽は神仏習合色を強く残していると言われています。神道的な命付けと仏教用語の混在は特徴的です。
※「森+愛宕(=とうせい)」「牛頭天」は、尾狩神楽や黒仁田神楽の「とうせい」「五ッ天皇」に演目名前の共通点があります。
※諸塚神楽は、道行きの行列などに登場する面様(おもてさま)の数が高千穂神楽に比べて多いので、面様ファンにはたまらない魅力がある神楽だといえます。
※大神楽では「えりもの」を飾るようですが、普通の神楽では省略されます。
※高千穂神楽の注連走りも南川神楽では八丁という独特な形です。
※地元の椿運氏の説では、伊勢系統を岩戸開き、出雲系統を蛇切りと解釈されていますが、これは全国区の本田安治氏の分類では伊勢系統は湯立て、出雲系統は採り物舞い+仮面による神話劇となっているのとかなり違った視点ですので、混乱しないようにしましょう。
※南川神楽は、舞が上・中・下とか細かく分類されているものがある一方、荒神では舞荒神・三宝荒神・柴入れ・舞荒神が1演目になっている等で37番となっています。
※福岡県小郡市の南育雄さん撮影のDVDで練習されたとのことで、そのことが宮崎日日新聞の県北「みにみに」欄にもありました。
※とにかく寒いです。防寒対策を十分にしてください。バッテリーもすぐ落ちます。予備をお忘れ無く。


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